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2010年12月21日 (火)

自然が為にラオスは貧しい

Making_straw_roof_vtp自然が為に僕らは貧しい。
ボーケオ県の最貧郡に位置付けられている郡の教育局長はまじめな顔で言った。
このおじさん何言ってるんだ?なにか逆説的な表現をしようとしているのかと思ったが、ストレートにそう表現したかったらしい。私が無反応でいると「ラオスには、近くの森に行けば食べるものがあるでしょう、野生動物がいたり、食べられる野草を見つけられる。この自然が故に僕らは、食べていけてしまう。だから我々は発展しない、貧しいままなのだ」ラオラオ(もち米から作る酒)が入ったおじさんの語気が強まる。

Big_fish_in_muang_nan夕食の席には、さっき学校の先生夫婦が絞めたアヒルのラープ(肉と香草を和えたサラダ)、アヒルの内蔵のスープが並んでいた。スープ皿のとなりのつる系の葉っぱをとって「あのねぇ、普通の日本人は、この葉っぱがどの季節に、山のどこで採れて、どんな効用があるか知らないですよ。ラオスでは子どもでも野草がどこにあるか知ってる。そういう見方をしたら日本の方が劣ってて、ラオスの人の方がよっぽど優れているじゃないですか」私も力説する。

自然資源を利用した水力発電や鉱山開発で、ラオスの2009年の経済成長率は7%を超えた。2015年までにミレニアム開発目標を達成するため、2020年までに後発開発国のカテゴリーを脱出するという目標を掲げている。中央政府の官僚から、地方政府の平職員まで、今までのままではいけないのだ、変わらなければいけないのだ、と言っている。我が国もパッタナー(開発)し、諸外国に追い着くのだ、と。「パッタナー」はみんなの合言葉。

一方、高度経済成長を経て、日本各地の里山が過疎となり、荒廃しきってから、その価値を顧み、復興を試み、今や日本のSATOYAMAを自然と人の持続可能な共生のモデルとして世界に勧めようとしている。

森の豊かさを貧しさの原因と位置付けるラオスと、荒廃しきった里山を復興するために試行錯誤をする日本が、同じ時を刻んでいる。(ラオス事務所 秋元波)

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