はじめてのクラシックコンサート②
どんな曲も、ムアン!
ドヴォルザークの重々しい曲でコンサートの幕が開けます。険しい表情の演奏家をぽかーんと見つめる小学生。中学校に行くと、いつでもサバーイサバーイ(心身がリラックスして心地良い状態)のラオスのティーン達には、演奏家のあまりに真剣な様が可笑しいのか、友達と顔を見合わせてクスクス笑っています。
1曲目の演奏終了後、みどりさんが「今の曲を聴いてどんな風に感じましたか?」と聞くと、一斉に「ムアン(楽しい)!」 演奏前に、音楽を通して喜び、哀しみ、不安な気持ちなど多様な感情を表現することができるのですよ、という説明があり、重々しい曲の演奏後にこのお返事。ちょっと拍子抜けしてしまいます。荘厳な曲も、寂しげな曲も、軽快な曲も、みーんなムアン!私の通訳が間違っているのではないかと不安になり、ラオス事務所代表のダラーさんに尋ねると、質問の仕方の問題ではなく(よかったぁ)、感じたことを自分の言葉で表現することができないから、なんでも「ムアン」の一言になるのだと言います。
なぜ、「楽しい」の一点張りになるかと言えば、感じたことを自分の言葉で言い表すことが、それほど大事にされていないのではないか、と感じます。学校ではお歌の時間の後、絵本の読み聞かせの後、どんなアクティビティをやっても、必ず先生は「ムアン・ボー?(楽しかった?)」と尋ね、生徒は一斉に「ムアン!」と返事をして、終了。子どもの頃からなんでもかんでも「ムアン」だから、大人になっても同じです。教員対象の研修の息抜きアクティビティとして映画鑑賞の時間を設けることがあります。どんなストーリーでも、やっぱり感想はムアン!
それから、常に「ムアン」であることが奨励されている文化とも言えるのかもしれません。だから、中学生達は張り詰めた空気を発するカルテットの顔真似をして茶化し笑って、おもしろおかしい雰囲気にするのかもしれません。そんな中学生も、楽器のお試しの時間に楽器を手にすると、最初は友達の前でどうやってかっこよく見せるかに気を奪われているのですが、いつの間にか、弓使いに心を奪われていたりします。
「楽器を始めたかったら、どうしたら良いのですか」という質問を小学生からもらったり、図書館担当スタッフのチャンシーに「ナミは音楽家に同行して、何回も演奏が聴けて羨ましい。私はこんな演奏を聴くのは初めて(私だって初めてですけど)。楽しいね~、もっと聴きたいなぁ」と言われると、彼女らの心に響いたのだなと、お馴染みの「ムアン」にも厚みが感じられ、嬉しくなるのでした。(ラオス事務所 秋元波)
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