はじめてのクラシックコンサート①
コンサートツアーところによりサッカー大会、ときどきカラオケ
翌日の五嶋みどりさん率いる弦楽カルテットのコンサート会場を事前に見ておこうと、ルアンパバン空港から、町の中心から40分ほど離れた小学校に直行した。「よく来てくれました。まずはお掛けになってください。打ち合わせをしましょう。」と校長先生が迎えてくれた。
「すみません、急いでいるので、9月の下見から流れについては変更はありませんし、会場になる場所だけ見せていただけますか。そしたら次の会場に行きますから。」
「いやいや、まずは職員室へどうぞ。9月に下見にいらした際には私はおりませんでしたし、まぁまぁお掛けください。少しお話したいことがあるのです。」
なんだ?ちょっと嫌な予感。
「実はですね、明日私達の学校でサッカーの地区大会を開催します。4地区の学校が集まり、大会のために運動場を使います。でも心配ありません、コンサート会場となる教室からできるだけ離れた場所でサッカーの試合をしてもらいますから。」
「はぁ。4地区って、1地区からは何校が集まるんですか?」
「大きな地区では15校、小さい地区では6~7校です。」
50校近くの小学生、それもプレーする11人と監督教員だけではなく学校によっては、応援のために全校生徒が駆けつける場合もあり、大勢の子ども達や郡教育局の職員を含めた教職員が集まり、これはちょっとしたお祭り状態になる。弦楽四重奏コンサートはマイクもスピーカーも使用しない。ただでさえ静かに音楽を聴く習慣のない子どもに、教室の外ではお祭りをやっているけれど、それには気を取られないように演奏に集中させる、なんてできるのか?
9月にインターナショナル・コミュニティー・エンゲージメント・プログラム(ICEP)の方と下見に来て、日時を伝えていた。それ以降、県・郡教育局にも演奏会に関して文書を送った。12月に入ってからは、県教育局職員、校長と何回も電話で話していた。すべて段取りを理解してくれていると思っていた。確かに、何があるかわからないと思ったから本番前に会場を見に来たのだけれど、やはりラオス侮れない。
「コンサートは、教室内で行いますし、学校は運動場を試合会場として提供しているだけで、うちの生徒は出場しないので、皆コンサートに参加させることが可能です。サッカー大会は、郡教育局からの要請で断ることができなかったのです」翌日のサッカー大会の打ち合わせと称して酒盛りが始まっていたのか、酒臭くて目も泳いでいる教頭先生が部屋に入ってきて私を説得しようとする。
これまでいくらでも連絡するチャンスはあったのに、本番前日までこの件について告げなかったことに、腹が立った。おそらく、私が前日に訪問しなければ、当日カルテットのメンバーと到着して初めてサッカー大会について知ることになったのだろう。言いづらくて言えなかったのか、それとも前日までひっぱれば学校変更などの措置もとれまいと思ったのか知らないが、どちらにしても、怒っていますよ、と言うメッセージを伝えたかった。ラオスではチャイホーン(気持ちが熱いこと、つまり短気)はよろしくないから、冷静にしらーっと聞いてみる。
「この学校のそばに他に学校はありますか?(次の会場がこの学校付近なので、この学校付近で代替校を探す必要があった)」
「ありません、ありません。ムアンカイ小学校(この学校の次にカルテットが行く学校)だけです。」と慌てる校長先生。
すると、他の教員が「1kmほど入った所に1校あります」と言うではないか。が、校長先生は、あぁ、あそこは無理です、と正直者の先生の発言をもみ消した。コンサートをうちでやって欲しいという強い気持ちは、伝わってきた。
結局、ICEPのディレクターの方と相談し、学校の裏にある、壁はないが屋根と柱のある村の集会所を会場としてコンサートを行うことにした。当日の朝までそこは砂埃に覆われていたが、カルテット到着10分前くらいには会場らしく化けていた。この集会所からは運動場の様子は見えず、子ども達はサッカー祭りに気を奪われることもなく、じっと演奏に聴き入っていた。朝の光の差す中の小さなかわいらしいコンサートだった。集会所は民家に囲まれていたので、近所の女性たちが集まってこれたのも、とても良かった。
この後に行った、ムアンカイ小学校では学校の向かいにある村の集会所で、村の党員会議がちょうど終了したところで、カルテットのコンサートが始まる頃、会議の後のカラオケのご準備よろしく、大きなサウンドシステムから歌謡曲が流れ始めていた。しかし、サッカー大会宣告の後、次は何かしら?とICEPのディレクターの方も私も動じなくなっていて、村長さんに1時間だけ音量落としていただけますかぁ、と頭を下げて無事コンサートを開催した。
ラオスの田舎の小学校や児童館で弦楽コンサートを開くなんて、初めてのこと。先生も子ども達も心待ちにし、歓待してくれるのだけれど、受け入れ態勢はいつものゆるい調子だから、え?それはないでしょ、というこちらにとっては想定外の事態が起こる。しかし、設備もない、聴衆の教養もないラオスの小学校でやるのだから、冷や冷やすることがあっても仕方がないし、それも楽しみのうち。また、子どもの集中力や反応も、年齢層、これまでの音楽や情操教育の経験、その教室が蒸し暑いのか、涼しいのか、隣に誰が座っているか、ということで変わってくるので、行く先々でコンサートの雰囲気は全然違った。
ラオスの子ども達とクラシックコンサートの初めての出会いに何回も立会い、カルテットの音を肌でビンビンと感じるほど間近で聴き、年の終わりに幸せなお仕事をさせていただきました。『はじめてのクラシックコンサート』と題し、ラオスの子どものクラシック初体験についてに数回に渡ってお伝えしていきます。(ラオス事務所 秋元波)
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