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2015年7月 6日 (月)

ある小学校での出来事

スタッフの赤井です。少し間が空いてしまいましたが、5月に訪問した学校での出来事を紹介します。

帰路のルートが変更になったことから、前年度に図書室を開設した小学校の前を通ることになり、アポイントなしに急遽立ち寄ってみることにしました。
突然の訪問にもかかわらず、図書室にはたくさんの子ども達が集まっていました。普段からよく使われているんだと喜んで入ってみると、小さな子ども達の熱気であふれていました。ふと気がつくと、室内ではラオ語ではない言葉が飛び交っていました。聞いてみると、ここはモン族の村の中にある小学校で、子ども達は全員モン族の子ども達だとのことです。

よくみると子ども達は本を開いていても、読んではいません。
絵を見ながら、想像した話をおしゃべりしたりして、頁をめくる子ども達。
絵本の絵を一生懸命写している子。
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すごく分厚い本(法律の本だったと思う)の頁をめくっている子ども達は、適当に開いた頁で、読める文字をひとつ読んでは次の頁を開くという「遊び」をしていました。
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本はまるで遊び道具のひとつのように扱われていました。
本棚の本はきちんとしまわれず、散らかっていて、表紙が取れてしまっている本が何冊もありました。
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室内に居た子ども達は小学3~4年生。前日に訪問した小学校では、2年生で文字の多い本をすらすらと読んでいた姿をみていただけに、ラオ語の習得状況の違いは私にもよくわかりました。ただ、私自身は、全く使われないで本がしまい込まれてしまうよりは、まだ良いかなどと考えていました。しかし、同行したスタッフ達、特に開設時に研修をした国立図書館スタッフ・県教育局スタッフは、一様にショックを受けた様子でした。

ふと見ると、1人の先生の周りに子ども達が集まっています。ラオ語で書かれた絵本をモン語に訳して読み聞かせしてあげていました。
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とても真剣に、楽しそうにお話をきく子ども達。
物語の内容を知りたいという子ども達の為に、子ども達のわかる言葉でお話をきかせてあげていた若い男性教員の姿が嬉しく頼もしく感じました。

その日は時間がなかったので、次にゆっくりと訪問することと、まずは室内をきれいにして欲しいと伝え、学校を後にしました。

同行したメンバーの中にモン族のスタッフがいます。入職してまだ4か月余りで、学校では無口だったので、この様子をどう思ったのかと考えていたところ、帰りの車中で、彼はこんなことを言いました。
「学校の先生は、ラオ語で話して、ラオ語で本を読んであげる必要がある。そうしないと、あの子ども達はラオ語を学ぶことができない。モン族にはモン語があるが、ラオ語は『あいだ(中間)の言葉』だと僕は思う。」(←”人と人の間を繋ぐ言葉がラオ語なのだ”という意味で私は解釈しました)
「子ども達は、家ではモン語しか話さない。学校でラオ語をきちんと習わなければ、いったいどこでラオ語を習得するのか。小学校でラオ語の基礎を習得してなければ、中学に行って学ぶこともできない。そうしたら、その先の将来はどうなるのか。」
ラオ語を習得し、英語を習得し、自らの人生を切り拓いてきた、彼自身の体験から出てくる発言なのだと感じました。
図書室に入って、飛び交うモン語に、唯一その言葉が分かるはずの彼が一言も発しなかった意味がようやく分かった気がしました。
「少数民族」の人々にとってラオ語を習得することの意味、リアリティ、課題をあらためて考えさせられた出来事でした。

[赤井/東京事務所スタッフ]

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